遺族は「もしも」の話がけっこう好き

2025/12/28

生まれた時から目が見えない人に

もし見えたら何が見たいか?と

聞くのは失礼、だとすると

子どもを亡くした親に

もし会えたらどうしたいか?と聞くのも

同様の質問になるだろうか…?

 

世間一般には、

その判断は多いように感じられる。

失礼のほか、余計に辛くさせる、

思い出さてしまう、傷つけるという判断。

 

両者の違いは、あるとしたら

石原氏が言った「生まれた時から」

目が見えない人に対して、という点だ。

 

生まれてきて、一緒に過ごしたり

暮らしたりした思い出のある子のことを

「もしも会えたら」と聞かれても

会えないのに、と怒る親よりも

会えるとしたら!と期待を語る親のほうが

多いような気がする。

 

聞かれなくても、いつもいつも

そのことを思っているから、

かもしれないし

いたことのない子のことを「もしいたら」

と聞かれるのでなく

実際にいた子に関心を寄せてくれるなら

嬉しい人は少なくないはず。

 

あるいは…

「もし会えたら」の問いは

「もし」ではなく

必ずまた会えると、確信している人が

とても多く存在していることも

関係しているかもしれない。

 

すべての遺族がそうではないものの

亡くなった子のことを

話題にしたり触れないほうがいい

という思い込みは

持たないでくれたら、とおもう。