親の介護を通して自分の生き方を見た
2026/02/21わが子との別れを経た人々が
親の介護や看取りの時期を迎えている。
この中で葛藤と直面することがある。
例えば、子どもは突然の病気で
医療を受けることさえできなかった、のに
高齢の親に治療が用意され過ぎでないか?とか、
子どもは我慢を強いられ頑張ったのに
親は不満が多く、我がまま過ぎないか?とか、
子どもは命がはかなかったのに
親にはさらに延命の選択肢もあり
生き過ぎでないか?とか、、、
私もそうした葛藤と向き合った一人。
もう十分生きたはずなのに…
と思ってしまう、あれは
命を軽んじているのではなく
介護に疲れ果てていたからだろうか。
不満が多くなる親、あれは
人物像を浮き彫りにしたのではなく
加速していく老い、だったのだろうか。
なかでも
この歳でも延命できる、という抵抗感は
子どもには選択肢も余地もなかったのに
という葛藤とは、少し違っていたように
思えてきた。
自分自身は、
そこまでして生きなくていい
生き続けることを
私は目指してはいない
という生き方の方向性だった気がする。
もっと雑に言うと、
あんまり長生きしたくない。
放棄すること
縮めること、を
しないというだけで
私は大した生き方のなかにいる
と自認することになった。