「もう十分生きてきました」の境地

2026/03/09

ストレッチャーに寝かせた子と一緒に

スキー場に来ている家族のこと

先日書いた。

 

この子は意識がないと思う。

でも、この子には出来ることがある。

それは、家族と共に過ごすこと。

 

家族は、張り合いや喜びとしていることが

お母さんの行動や表情から伝わった。

家族を幸せにしている、とも言える。

 

そんなことを考えていたが、

きょう、こんな記事が出た。

入院中に人工呼吸器が外れて、

亡くなったALSの患者さんの遺族が

病院を訴えていたが

4200万円の示談金で和解した。

亡くなったのは、私より少し年上の母親。

 

病院の不手際で母親を失ったことを

子どもたちが怒ったのだろな。

病気で寝たきりになっても、母は

かけがえのない存在だったのだろう。

 

ではお母さん自身は…?

現代医学で治らない病気になり

歩けなくなり、動けなくなり、

呼吸もできなくなって、、、

生きていることだけを

望んでいたのだろうか。

 

私だったら…

という仮定には意味がない。

私がどうでも、その人ではないから。

 

でも私だったら…

もはや家族の気持ちのためだけ生きるのは

つらいかなあ。

そんな難病にならなくても、

もう十分生きたので。

 

土曜日に「つどい」で

「私も、坂下さんが日記に書いていた

もう十分生きました、と同じです」

と声掛けてもらったのは嬉しかった。

 

投げやりなのでなく

命を粗末に考えているのでもないところの

実感を認め合えて。