この服をまた元気に着ると信じ

2019/10/04

きょうは、お子さんを亡くされたお母さんが訪ねてくれていた。

いずれこの方のお話は、「小さないのち」の講座で公表するので

ここでも少しふれておこう。

 

ただ、公表するのは医療体験なので、この話は割愛するような気がする。

だから、ふれておこう。

 

お子さんが亡くなる前に着ていた服を

洗濯をせずに、大事にしまっている人の話はよく聴かせていただく。

このお母さんは、2着の服を、大事にしまっている。

最初に受診した日に着ていた服と、最期に着ていた服。

 

2着のもつ意味は違い、どちらも大事

という意図が、私はよくわからなかった。

2つ目の服の意味はわかる。1つ目の服の意味がわかりにくい。

なので聞き直した。理解できるまで聞いて

わかった!!

 

1つ目の服は、お母さんにとって希望だった。

この服を着ていた日の、半分までは、日常だった。

ところが、ある症状が気になり大きな病院を受診した。

思いもよらない病名を告げられる。

この告知を受けた瞬間に「日常」は崩れた。

 

医師の一言で、世界が変わった。

でも、着ている服は同じ。

 

この服を着せた日の朝に戻りたい。

この服の袖に、また元気に手を通せる日を迎えよう。

きっと、必ず。

 

念じるように、願い続けたその服は

手を通すことができなかったけれど

今も大事に持っている。

 

この話、医療体験ではないけれど

やっぱり医療の中の話に思える。

治療に直接かかわることのできない親が

子どもを救うために、自分にできることを

懸命に探しておこなった行為には違いない。