雨の冷たさもわからないほど

2020/05/15

掲示板に書いてから、思い出したこと。

あゆみが亡くなったあと、私は病院を訪ねた。

行く目的は、1つのつもりだったが、

途中から、お願いが1つ増えた。

 

救急でお世話になったので、治療中の説明は

ほとんど理解ができず、後になって

もう、あゆみは亡くなって、いないのに、

その理由がわからない苦しさに、耐えかね

先生を訪ねたのだ。

 

先生は、よく来られましたね、と言ってくれて

十分に説明をしてくれたので、

来てよかったと、心から思った。

でも、説明が理解できて、はじめて、

何であゆみだったんだー

と痛切に思った。

 

悲しいのと、悔しいのとで、ぐちゃぐちゃだが

でも、これ以上、ここで先生の時間を奪っては悪い。

そして、もう来ることができない。

患者が存在しない家族だから。

 

そこで、

だったら同じ立場の人と出会いたい。

頼むのは今だ!と思う。

私にしては、とてもいい発想だと思ったが

先生の表情は、急にくもり

紹介は丁重に断られてしまった。

仕方のないこと・・・

 

病院の玄関を出たら、雨が降っていた。

傘、診察室に忘れてきた、と思い

取りに戻ったが、そこにはなく、

とぼとぼと、濡れて帰った。

 

病院のどこかに置き忘れたのだから

探す、というのは普通のこと。

普通のことができない私だった、ということ。

 

冬だから、雨は冷たかったと思う。

雨の冷たさは、覚えていない。

冷え切った心のほうが冷たかったからだろう。