どの自分も、あっていい自分

2020/05/17

緊急事態宣言が、大阪・兵庫は解除されていないので

ぎりぎりまで悩んで、24日の「大阪のつどい」は

Zoomを使って、オンラインで行うことになった。

 

私はぜんぜん詳しくなく、優秀なスタッフに頼りきり。

以前、私だけなかなか入れなかったみたいなことに

こんど会員さんが、なっては申し訳ないので、

最初は、私が「おはなし」をさせてもらおうと思う。

それが終わる頃に、入ってこれたらオッケーです。

 

なに話そうか、と考えていたところ

ちょうどあるご遺族が、連絡をくださった。

「朝から涙が止まらない。きょうは〇〇の日なので」と。

〇〇とは、誰にでもある、その人にとっての特別。

命日であったり、誕生日、結婚記念日、病気がわかった日など、

いい日でも、つらい日でも、ほかの日とは異なる日。

 

戸惑われたのは、急に、

亡くなった人の物や、好きだったことや、思い出の場所が

つらくて仕方がなく

見ないようにしてしまう。

少し前まで、求めるように拠り所にしていたのに。

 

それらを、求めるタイプの人、避けるタイプの人

人によって違う、ということもあるだろうが、

実際は、そのように明確に分かれるよりも

一人の中で、時期により変化するのではないだろうか。

 

つまり、ゆっくりと階段を上るような変化

というのではなく、

何度も、何度も、大きく揺らぎながら、

収まっていく感じ。

 

このことは、現在の理論の主流で、図もあるので

それを見てもらいながら

どの自分も、本当の自分で

どっちが、どう(良し悪し)、ではなく

どの自分も、あっていい自分、なんだよね

と話し合ったようなこと、

こんど皆さんにも聞いてもらおかな。