「心から笑うことは、もうないと思う」

2020/07/20

11日のブログの文末は

「あゆみが、私を不幸にするはずが、ありません。」

だった。このこと、言葉が不足していたのかな・・・?

メールをいただき、改めて考えた。

 

(亡くなった人のことを考え続けるのは、良くないと恩師に言われ)

「いえ、考えます」と決めた私を、あゆみが

不幸にすることなどないはずだ、という意味で書いていた。

 

でも、私を不幸にするはずのないあゆみは

私を遺して、逝ってしまったじゃないか・・・

そんな私を、私は、別に不幸じゃない、

と本当に思っているだろうか?

 

幸・不幸は、自分がどう思うか、なので、

11日に書いた「私は不幸にはなりません」は

あゆみのせいにしたくない思いから、書いたもの

でもあったのか?

 

あゆみは、何にも悪くない。

ただ病気になってしまった、ということ。

 

病気を打ち負かす子どももいるけれど

勝てなかったあゆみを、責めたくなったことは、一度もないし

私の不幸と、あゆみを、切り離しておきたいくらいの気持ちもあり、

実は、ここには深く長い格闘があるのだ。

 

子どもを亡くした人のほとんどが、日の浅いうちに言う

「心から笑うことは、もうないと思う」

とも繋がる気がする。

 

私は、しょーもないことでも笑ってるし

贅沢も言うし、遊びにも行くし、

でも、そういうのは、どれも、

深く長い格闘のなかでの一コマ。