母にもっと寛容であればよかった・・
2021/07/18きょうは大阪のつどいで、あゆみのことだけでなく
母のことを、またディスッテしまった~
悲しみが語られるとき
よく実母とのことが話題になる。
実のお母さんは、必ずと言っていいほど
悲しみは深い。
愛しい娘の、可愛い子どもが亡くなり
愛しい娘が、悲しみに暮れるのだから。
そういう実のお母さんと
かみ合う人と、かみ合わない人がいる。
かみ合わないと言っても、大抵、一時的にか、
かみ合わないと言いつつも
親を擁護する言葉が、必ず出ている。
これは、とても微笑ましいこと。
その人のことを
いい人だー、と思ったりする。
ところが私は
母をぜんぜん擁護せず
かみ合わなかった話を、よくする。
ほんと、かみ合わなかったから。
日記にも書いたことがあるが
あゆみが亡くなって日の浅かった頃
同時期に生まれた女の子の写真を
頻繁に送ってくれる友人がいて
私はもう見れなくなっていたら
かわいい、ほら、みて!みて!と差し出す母。
私を、もう、これ以上、悪魔にするなーーー
みたいな、一事が万事こんな具合で。
でも、きょう、話しながら気づいた。
私は後悔している。
童女のような、あれが母なんだ。
私がもっと寛容であればよかった。
それにしても
澄み切った青空のような母親をもつと
年中曇り空の娘は、たいへん。