「わかる」は闘病を支える言葉でもある

2021/09/15

一昨日書いた「私にも子どもがいるので気持ちはわかります」

の件で、会員さんからメールいただいたので

なるほどーと思い、また修正します。

 

前述の言葉、「言わないほうがいいのでは?」

というのが私の提案だった。

安心を得る保護者もいるだろうけれど

淋しい思いをする保護者もいるから。

 

メールをくださったお母さんは

お子さんの闘病中、医師や看護師からの、その言葉で

安心して見てもらえると思った。

寄り添ってもらえた気持ちになれた、とのこと。

ママ友のような「こちら側」の普通の人でなく

医療者という「あちら側」の専門家から言われると。

 

そうかー

1つのキーワードは、闘病。

闘病が始まり、闘病が続くお子さんの親御さんと

私のように、発症と同時に「助からない」となる親では

道のりも、道そのものも、違うだろう。

 

長い道のり、子にも親にも、寄り添ってもらえたら、

きっと嬉しい。

闘病もなく別れようとするなかで、「同じ親だから」

で丸めてしまうと、同じかなあ?となりがち・・・

 

お母さん、こうも教えてくれた。

闘病中、何度も命の危険にさらされた親でも

本当に亡くした時、想像を遥かに超えていたと。

つまり

闘病経験はいくらあっても、死別には遠く及ばず

子どもの死とは

「この世にこんな苦しみがあるのか」

と知ることだったという。

 

そういう意味では、

闘病があっても、なくても、子どもの死は

直面して初めて、知ること。わかること。

 

今度の勉強会では、

そこで直面する「痛み」をテーマにする。