言葉にならない境地に行き着く

2022/02/12

3回目の金メダルが取れることを願っていた

羽生結弦選手が、銀でも銅でもなかったこと

本当に残念だったのだけれど

もしも、彼が身近な存在だったとしたら、

じかに何らかリアクションをするわけで

私は何と言ってしまうだろう・・・と

また妄想の世界に入っていった。

 

言ってしまいそうなことが

ぜんぶ違うように思えた。

 

よく頑張ったよ、とか

おしかったね、とかは

いかにも軽く、さらに

上から目線の感じさえする。

 

メダルが全てじゃないし、みたいなのは

さらに上からぽい感じがする。

 

そういうこと考えたのには

「運が悪かったんだよ」が、浮かんだのだが

コレ、私自身がいやな言葉だったのに。

あゆみが亡くなったとき。

 

悪い状況が、つぎつぎと重なり

誰のせいでもなかった、と言いたいようなとき

「運」に帰結させるのが、常。

いとも簡単に丸めてしまう。

 

「次がんばって」みたいなことも言われるが

36才だった私にも、次はなかったし

27才の彼にも、次のオリンピックはないだろう。

「次がある」といった言い方は

言う側の、逃げ口上みたいにも思える。

 

いい言葉として扱われているものには

「泣いていいんだよ」があるが

私は、良く思えなかった。

良かったと言う人、結構多いけど。

 

「別に許可してくれなくて、いいです」

と、どうも尖った自分が持ち上がってしまい

黙ってねじ伏せるのが、逆にしんどかったりで。

 

心底しんどいところを通った人間のほうが

結局は

本当に言葉にならない境地

に行く気がする。