母が元気だった頃
2013/11/20 私は、学校というところが
なんとなくにがてで
その理由を1つに絞るとしたら
規則が多いこと かもしれない。
昔から、突飛なことを思いついては提案する自分は
許可が下りない という経験を多くした。
先日兄が、母を、かつて勤務したところに連れて行きたい
と言い出した。
西宮市立香露園小学校
この小学校を母はこよなく愛していた。
母の消え去った記憶は、ここにならあるかもしれない
と思った。
けれど、いまや小学校の校門には鍵がかかっていて
外部の人間が立ち入ることは、できないと思う
と兄に告げると、兄はびっくり。
あきらめることなく、小学校に電話し、事情を話し
入校の許可を得たという。
兄は、校庭を車いすで散策することだけ考えていたが
当日は、教頭先生が出迎えてくださり、校舎内も案内してくださり
昔の資料なども閲覧させてくださったらしい。
こんどは私がびっくりした。
そんな、お忙しいのに・・ 見ず知らずのものに・・
見ていた資料の中に「この方ですね」
と母の名を見つけてくださった。
思い出の地を訪ね 思い出を紐解き
母の記憶は繋がり、涙したらしい。
家の中にいてたどれるものではなかった。
小学校の先生の、やさしさ、温かさに
母も、兄も、ついて行けなかった私も
こころ癒された。