いじめ
2012/07/14 大津市の男子中学生へのいじめと、その子の自殺のことは
ほんとうに胸がいたい。
朝日新聞の1面に、「いじめられている君へ」という
著名人からのメッセージコーナーが設けられた。
きょう発信しているのは、プロボクサーの内藤大助さん。
中学の頃にいじめにあい、
つらい思いをされてきたという。
原因はよくわからないものの、
母子家庭で貧しかったことが理由かもしれない。
高校を出ても、上京して就職しても、
帰省したらいじめっこに会う怖さ怯え、強くなりたい一心で、
ボクシングジムに通うようになった。
そうして、世界チャンピオンの道を昇っていく。
ダイキに、その記事を読んでほしいと言った。
そして、私がこの文章の中で一番ほしかった「1行」は、どこだと思う?
と問うてみた。
真剣なまなざしで読んでくれた。
「いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた〜
マイナスの体験をプラスに変えてきた」のところじゃない?と答えた。
たしかにそこは非常に意味深い。
けれども、そこではない。
(だからといって)「いじめられてよかったなんて思ったことは、ただの一度もない」
のところなのだと話した。
「ああ、確かに」
と言いながら、ダイキの表情は少し陰った。
期待どおりの応答をしたかったのかもしれない。
けれど、ここは私にもこだわりがあって、譲れなかった。
私が出会う多くの病死遺族の言葉に、似ている気がするからだ。
子どもの死を通して、
親は悲しみながら多くのことを学んでいく。
子どもの死は親を成長させた
といったことを、遺族の多くが何年か後に言うようになる。
けれども、だからといって
子どもの死そのものを
よかったことと位置づけることは、決してない。
いじめもそうだろう。
つらい体験があったからこそ、才能を開花させた のだとしても
いじめられた体験、そのものが、よかったことになど、
なるはずがないということに、とても共感できる。
内藤さんの言う「いまだにつらい思い出なんだ」
という言葉
胸に響く。