見つめ合う緊張感

2011/10/01

きょうは、大した問題ではないのだけれど
これって、おそらく、どなたもみんな
ちょっと緊張するときじゃないだろうか。

同じ方向に帰る人と、一緒に電車に乗り
どちらか1人が、先に降りるとき、
車内で、別れの挨拶をする。
この挨拶、ちょっと早めにしてしまうと
あれ?けっこう時間余ったな、みたいに互いに感じ
でも、新しい話題を振るには時間が足りないと、互いに判断し
さっきも言った「お体だけは大事に」といった挨拶を、
「ほんと、お体だけは」みたいに繰り返す、丁寧すぎる挨拶を
重ねるなどして、ようやく電車はホームに滑り込む。

いよいよドアも開き、互いに頭を下げて、本当に別れた
はずなのに、
開いたドアが、いつまでも閉まらないとき
この時間を長く感じるのは私だけだろうか?
ここで皆さんは、どう行動されるだろう。

自分が乗っている側だとし、
ドアが開いている時間を、もっとも長く感じるパターンは
先に降りた人が、すぐそこに立ったまま、見送ってくれる場合だ。
開いたドアを挟んで、無言で、向き合うこのとき
じっと無言でそうできるのは、恋人同士だけで
向き合っているのに、下を見たり、横を見たり、互いに視線が定まらない。

この緊張感がどうにかならないかと、
私は、自分が先に降りる場合は、もう一度丁寧にお辞儀をして、
もう階段のほうに歩いて行かせていただくようになった。

問題は、自分が車内に残る場合だ。
降りる場合と同様に、もう一度丁寧にお辞儀をして、
空いているイスのほうに行かせていただくようになった。
ところがホームを見ると、先に降りた方が、
電車が出ていくのを待ってくれているときがある。
目が合うなり、下を見たり横を見たり、となりながら。

こういう行動は、
その人が律儀なだけでなく、やはり温かさの現れだと思う。

昨日は、あるご遺族と一緒に電車で帰ってきて、
私は、車内に残る側だった。
昨日だけは、最後まで見送りたい気持ちで、
車内から、見えなくなるまでずっと手を振った。