すべてが未知を行く1年目の大変さ

2023/10/03

昨日の続きで

針が回る時計の画像を探していた理由。

 

最初はカレンダーの画像を探していた。

遺族の「死別後」の話をするとき

私、カレンダーという言葉をよく使うから。

 

たとえば、きょう10月3日に

大切な人を見送ったとする。

すると次の日から

いつもやって来る「翌日」ではなくなる。

カレンダーでは、10月3日と10月4日に大差はなく

同じような数字に見えるけれど。

 

10月3日という日も、

毎年巡って来るただの10月3日ではなくなる。

そして

次の10月3日までの毎日が

「昨年のきょうはココにいた」

「昨年のきょうは~~していた」

と、さまざまな思い出と繋がり

押し潰されそうになる日々が

次の年の10月3日、一周忌という日まで続く・・・

 

よく質問されるのは

激しいつらさはいつまで続くのか?と、

一周忌のあとはどうなのか?

 

つらさは続くと思うが

もっともつらいのは、

やはり1年目ではないだろうか。

すべての日が未経験だから。

 

そうして一周忌までをなんとか過ごすと、

また次の年は始まるのだけれど

こんどの1年は、

ほぼ1年目に辿った道をまた辿るので、

少なくとも「未知」ではなくなる。

 

その、同じところを辿っていく説明に

時計の針が、同じところを回る画像が

あるといいかな?と考えたりした。

 

1年目と2年目、どう違うか?は

未知か未知ではないか、だけでなく

未知でありながら、

泣きながら

それでも自分の足で歩いた

ご本人のたくましさ

その人が養った強さが

きっと2年目からを支えてくれる

といった話をよくする。