こころは色水のようなもの
2011/05/24 子どもの遺族は、「一生悲しみが癒えることはない」
みたいなことを口にするが
本当のところは、どうなのだろう・・
かなしみは、年数とともに、かたちを変えると思う。
何にもできなくなっていたのに、
できること・できないこと・したくないこと に分れ、
泣いてばかりいたのが、
泣く日もあれば、笑える日もあるように
かなしみの「質」は変化するだろう。
では「量」のほうは、どうなのだろう。
私は、かなしみの「量」は、変わらないのではないだろうか
と感じるようになった。
失って13年も経つと、量も減ったと思っていたところ、
つい先日、思いもよらないことで、こころに衝撃を受けて
気付いたのだ。
事の経緯は、
直接「あゆみ」のことではなかったが(ある会議の中のことで)
あゆみに、関連は、しており
何日もつらくてたまらなかったのだ。
と、そのとき、
こころの色が、曇ったようにも、当初に戻ったようにも感じた。
そして思った。
かなしみを、色で例えるならば、
濃い色は、消えてなくなるのではなく、
心の底のほうに沈殿するのかもしれない。
私は、ここ何年間か、上澄みの状態の中で暮していたように思う。
ところが、衝撃を受けて心が揺さぶられると、
沈殿していた濃い色が、渦巻いた。
かなしみが消えていくことは、ないのかもしれない。
ただし、年数とともに、少々のことでは揺さぶられなくなり
よほどのことがなければ、濁らなくなるのだろう。
心がたくましくなることは、間違いないと思う。
久々の混濁に、うろたえてしまったけれど
いずれまた、灰色は薄まり、澄んでいくだろうから
少し時間をかけようと思う。