命日か、誕生日か、
2011/05/07 「私も子どもを失っているので、お気持ち、わかります」
という受け答え、これまでに何度言っただろう・・・。
この点に関しては、「わかる」と言っていいと思う。
ただ、お子さんの死にまつわるすべてが分かるわけではないので、
分からないことと自覚し、知り得ないこととして、
会って、じかに話を聴く
ということを、ひたすらしてきた。
それでも、思いこみがあったことを、先日知った。
子どもが誕生した日は
もうこの世にいなくても、特別な日に変わりなく、
おそらく、命日よりも大事な日だろう
と思っていた。
ところが、そうではない人が、
少なからず存在することを、先日知った。
命日を覚えていてくれることは、嬉しいが、
誕生日にふれる話題はいや、と。
事実は、認めなければいけない。
が、どうも腑に落ちず、もう少し考えた。
話したのは、十代後半のお子さんを失った方たちなので
日頃私が出会う、幼い子どもの遺族とは、
少し感覚が異なるのだろうか・・
小さい子を失った親たちは、
子どもが、生きる(はずだった)時間が絶たれたことに加え、
実際に生きた時間が、あまりに少ないという思いが、大きいため
生まれたことと、生まれた日に、愛着をもつのだろうか。
そんなくくりは、なく、ただ個人差かもしれない。
まあ、普段から、
誕生日にも命日にも、私はふれないので
(かつて、日にちを間違えて、お叱りを受けたため・・・)
この件に限っては、いいのだけれど
よく喪った立場ではない人が
「何は言ってよく、何は言っていけないのか・・・」
と迷われる様子が、人ごとではない気がした。