きょうだいの進学

2011/03/20

震災以降、気楽な文章など、書く気にはなれないが
日記が止まったままでは、気に掛けてくださる方がおられることから
先日、ある機関誌に出した原稿を、ご覧いただこうと思います。

きょうだいの進学        小さないのち 坂下 裕子

我が家は、下の子を病気で失い、  
私はそれをきっかけに、その子が罹患した病気の家族会を創った。
思うに、家族会というもの、
闘病中にいろいろ大変だから創る、という発想が、普通かもしれない。
私の場合、後先かまわず「創る」しか頭になく、創った。
当時5才の息子がいたが、以後、オカンは「会」に突入。

年中めまぐるしくなった。とりわけ秋の土日は格段で、
息子の秋の大運動会へは、2回しか行っていない。
参観日も、行ったり行かなかったりで、
教室の場所を覚えた頃にはクラスが変わっていた。
宿題をしているか、忘れ物はないか、そのあたり知る由もない。
こんな具合だから、先週あった高校の卒業式も、またもや欠席。
その夜息子は、卒業アルバムを広げ、ゆっくりと見せてくれた。
よく聞く同級生たちの、名前と顔がやっと一致したというのに、
もう卒業なのね・・・。

そんな我が家を、先月、一大事が襲った。
このオカンが、大学の願書の締め切りなんぞ、把握しているわけがない。
うちの子は、さぞしっかり者に育つだろうと思っていたのに、
まるでそうはならず、ポワーンと大きくなってしまった。
日も暮れてから、「締め切りは明日なのに、きょうの消印って・・・?」
と言い出したから、さあ大変!しかもショウインなんて言っておる。
翌日は、私には大事な予定が。となると、
夫しかいない。夫も仕事が忙しいと言うが、私よりゃあヒマでしょう。
願書を持って現地へ飛んでもらった。第1志望だと言うから、仕方ない。
オカンに余裕がない家庭では、しょっちゅうこういうことが起きてしまう。

思えばこの12年間、すったもんだの繰り返しだった。
帰りが遅くなり、息子は晩ご飯を食べずに、朝まで眠ったこともあるし、
相談の電話がかかると、切ることができず、菓子パンばかり食べさせていた。
それでも丈夫に育ち、中高とも皆勤って、すごいと思う。
そしていよいよ、きょう!
合格発表があった。
でも、そこに彼の受験番号はなく、幕を降ろした・・・。

 病気や障がいをもつ子どものきょうだい児が、大きくなったとき、
医療系や、心理系や、社会福祉系に進路をとる話を、よく耳にする。
我が家はどうなるのだろうと、ずっと思ってきたが、
息子が目指す職は、どうもそういった方面ではないらしい。
いろいろだなあと思う。
まあ、何でもいいよ、したいことすれば。
それにしても、浪人、するのかなあ・・・。