強調せずとも「子の死」は公認されている

2024/01/09

2日に起きた羽田空港での衝突事故で

JALの乗員乗客全員が脱出できた朗報の影で、

預けていたペットは救えず

飼い主さんの悲しみは、いかばかりか

と思っていた。

 

けれども、この件に関して

「ペットの死はわが子の死と同様か

それ以上の悲しみである」

と公言した著名人がいたという話題から、

子どもを亡くした親たちからこんな声が。

 

「ペットはわが子同然」には同意できる。

「ペットの死はわが子の死のように辛い」

にも共感できる。でも

「ペットの死はわが子の死と同様か、それ以上に辛い」

には、唖然。

 

わが子を亡くしたことのある人が

ペットを亡くした経験もあり

「ペットのほうが辛かった」

と言っているわけだ。

 

でも、この発言は

今回の事故機に乗っていた当事者ではなく

子どもを亡くした親でもなく、

おそらくペットをこよなく愛する人。

 

ペットの命の大切さを

強く主張したいのだろう。

 

私の経験では

わが子の大切さは

強く主張しなくても良かった、と言える。

 

「子どもがいなくなって辛い」

と、小声で呟くだけで、

周囲が「それほど辛いことは他にないでしょう」

と同意どころか、強調すらしてくれた気がする。

 

ある遺族会に出席し、痛感したことがある。

そこは、亡くなった対象を限定しない

「かけがえのない人」を亡くした人たちが参加。

 

出席していた一人のお母さんが

「子どもを亡くすほど辛いことはありません。

誰を亡くすより辛いはずです!」と言うと

ほかの参加者から言葉が出て来なかった・・・

 

このとき思った。

私たちも、辛さを言っていい。

言わずにはいられない。

ただ、

そこまで主張しなくても

比較対象を示さなくても

もう公認されている気がする。

 

周りの人から言葉を奪ってしまわないよう

私自身は、当会の外では、

あゆみの死は静かに語るようになった。

それでも十分圧倒的らしい。