生きることが苦しさの始まりになるとき
2024/05/30夫が戦死したドラマの続き。
きょう見ながら、ふと思った。
戦死の知らせが届いても、
のちに帰って来た人って、いるのだろうか?
多人数のことだから、間違いはあったような気がする。
そう思って見ていたら
本当に帰還してきたような後ろ姿が映った。
戦死の知らせが届いた旦那さんは、
虎子という妻が手縫いした、虎の強い運をもつ
強いお守りを持って行った。
ちがった・・・
現れたのは旦那さんではなく
虎子が持たせたお守を、届けてくれた人。
ここからのやり取りに、胸が痛む。
旦那さんは、現地の病院で病死していた。
隣のベッドの人が危ないとき、
「このお守は強い運を持つから」と
その人に握らせてくれた。
確かに、強い運をもつお守りだ。
戦場で生き延びることができたのだから。
ところが、隣の人にお守りを握らせたあと
本人は病状が悪化、亡くなっている。
お守りを貸してもらった人は、
彼から運を取り上げてしまったのではないか
と苦しむ。
このことは
同じ苦境に追い込まれたときに
生き残った人が背負う罪の意識と
とてもよく似ている。
生き残った人が、亡くなった人の
死を招いたわけではなくても
サバイバーズ(生き残った人の)ギルト(罪悪感)。
家族は、生きてさえいてくれたら
としか思わないが、
本人にとっては
生きることが苦しさの始まりになることがある。
人間が善の生きものであることを
強く感じる。
全員助かったら
こんなことは起きないのに。