顔を見てお別れすることはとても大事
2024/06/10他人でも、悲しみが深くて、言葉にできない
ということがあり、
親子で、悲しみは深いけれど、言葉にできる
という違いについて、考えた。
昨日書いた、亡くなった人は、
一人、家の中で倒れていたという。
死が突然訪れることは、
いくつであっても、あり得ることで、
一人住まいであれば、人知れず、亡くなりゆく。
そうして、他人が死を知ったときには
すでに身内の人がすべてを終えており
身内の人と親交がなければ、知らせが届かず
お別れをすることなく
ただ事実を知るのみに・・・
臨終に立ち合えなかったとしても
顔を見てお別れすることは
とても大事なことだと改めて知った。
我が子を亡くすことは
筆舌に尽くしがたい、痛恨の極みではあるが、
手を握り、体を撫で、抱きしめ、泣きわめき
そのようにして「事実」と向き合ったことは
大事なことだったと思える。
悲しみが深くても
言葉にできるか、言葉にできないか、
違いの1つではあるように思う。