目の前にいたのに「どこへ行ってしまったの」

2024/06/11

あゆみと、よく似た経過をたどって

お子さんを亡くされたお母さんと話して

受け止め方もよく似てるーと思った。

 

私は、あゆみが「脳死」と知らされたとき

言葉にするわけにはいかないが

心のなかで(おわった・・・)と思った。

言い繕いようもなく、

思ってしまった。

 

そしてその夜、

病室で爆睡してしまう。

 

それまで、ずっと

病魔に立ち向かえるはずもないのに

私は私で寝ずの番をしていたのだけれど

もう「番」する必要がなくなったので。

 

まだ目の前に、あゆみはいるのに、

あゆみはどこへ行ってしまったんだろう・・・

と、あれからずっと考えている。

 

似たお母さんはいて

脳死が告げられたあと、お腹がすいて、

ごはん食べた

と聞き、今更ながら、ちょっと嬉しかった。

その人が、まったく子どもに冷たい人ではないから。

 

で思ったのが

私たちの子のように、脳死を経ると、

少なくても、3回死を迎える気がする。

 

1回目は、医学的に死を意味する

脳死判定が出たとき。

 

2回目は、動いていた心臓も止まり

臨終が告げられるとき。

 

3回目は、その子のことが、誰の記憶からも

消えてなくなるとき。

この死だけは、親が生きている間に

迎えることはない。

 

だからボケないようにしないと。

私があゆみのこと、思えなくなったら

もう一回死なせるようなものだから

この死だけは、

生きている限り、何とか避けたい。