もう、ものが言えない子どもに替わって
2024/08/28昨日話した人のつづき。
その人と出会ったのは、2003年6月。
私は、この年の1月にがんで入院し、
6月に退院、その足で神戸の会場に向かった。
神戸で小児救急のフォーラムがあり、
私も出演者の一人になっていたから。
この日の約束があったから
必ずその日までに退院する!と決めて
頑張れたのでもあった。
あゆみが亡くなった経緯を話した。
当時は、不十分な医療体制で、
なかなか治療が受けられなかったことなど。
終演後、駆け寄ってきたのが彼だった。
救急車内でとる心電図の開発をしていたが
揺れる車内では難しく、暗礁に乗り上げていたらしい。
あゆみのように、重症の子どもを救急搬送する際には
必ず必要になる機材、きっと完成させる!
と心に誓ったらしい。
いまだに、会うたび、
「あゆみちゃんと坂下さんのお陰です」と
いつもお礼を言ってくれる。
私にお礼を言われても・・・
私は何にもしていない。
あゆみは、人に影響を与えた
というけれど
そのとき、既にあゆみは亡くなっていた。
だから私が言った。
だから私もお礼を言われるわけで。
別にお礼は言われなくてもいいけど
これからも、
人の役に立つことならば
もう、ものが言えない子どもに替わって
あゆみのことを、私が話そうと思う。