約束は、必ずしも守るためだけにあるのではないと思う。

2009/09/20

毎日、必ず、ある人のことを考える。
ちいさな男の子を失われた、お母さん。
ずっと親しくしているのだけれど
深い悲しみにある人の
役に立てるようなこと、何一つない・・・。

少し元気になってほしい。と
そばにいる人は、みな思うかもしれない。
実際に言葉にして言う人もいるかもしれない。
言われなくても、そんな願いの大きさに
心が折れそうになるのを、当事者はこらえているかもしれない。

そう思うと、私は何が言えるだろう・・・
そんなとき口をついて出た言葉は、
「一日ひとつ、してみたの」

私自身、息をするのも苦しく思えたころ、
なんにもできないように思ったものの
1つだけなら、できるかも。
そんな発想が持ち上がった。

きょうは、家族のお布団を干してみよう。 1つできた。
きょうは、この本の1章分を読んでみよう。 1つできた。
きょうは、スーパーの二階にも買物に行ってみよう。 1つできた。

人に言う必要などないけれど、自分のなかで
意味のある行動に思え、
一日、一日、繋いでいった時期がある。
いつしか、そう意識することがなくなったのは
2つ、3つと、こなせるようになっていったからだろう。

坊やのお母さんが、伏目がちになったとき
当時の自分がよみがえり
「1日ひとつ、してみない?」ともちかけた。
そして「1日ひとつ」は、二人の合言葉のようになった。

いまの私は、何か1つすることは、そう難しくない。
だから、たった1つのことを「ていねいに、心をこめて」と
少しかたちを変えたやり方ですることにした。

今日したことは、廃品の分別。
きれいに洗うと
次に取り扱う人の姿が浮かぶし、
資源の価値も感じた。
ささやかに、いい日にできた。
何より、「ひとつ」をするとき
必ず彼女との接点を確認できる。

彼女からは、「ひとつ」ができない日があることが耳に入った。
私は、約束というのは、守る守らないに関わらず
交わしたときから、人を結ぶものだと考えている。
姿は見えなくても、ずっと繋がっていられるのが、約束だと思う。