あゆみのへんくつな兄貴

2009/04/15

きょうは、会報を作る日。
ちょうどダイキが帰って来たので、手伝って〜と、引っ張って行った。
紙を買い込み、抱えて会館に行き、印刷した。
手伝ってくれたので、終わってからモスバーガーに行った。

前述のごとく、ダイキはむかしから先生と名のつく人が大好き。
歯医者さんに行くのも苦にならないから、スゴイ。
いまの担任の先生のことも、とても尊敬している。
ハンバーガーにかぶりつきながら、西村先生はやっぱりスゴイわ。と
先生から聞く「意味のある」話などを私に教えてくれた。

「ところで、あのときのお坊さんの話のことやけど」と私はもちかけた。
その話は、あゆみの法事のときの法話で
ダイキは小学生ときに一緒に聞いている。
「あのとき、なんでダイキは、『あの話、おかしい。意味ない』って言ったんだった?
ていうか、お坊さんの話、どんな話やった?」と尋ねた。
ダイキはよく覚えていて、こういう話だったと教えてくれた。

どこかの国王が、
鷲がウサギを襲って食べようとするのを見てウサギをかわいそうに思い、
自分の腕をやるからウサギを放してやってくれと鷲に頼んだ。
鷲は、だめだと言った。
王は、ではもう片方の腕もやるから、放してやってくれと頼んだ。
鷲は、だめだと言った。
王は、足もやると言ったが、だめだった。
王が、あとどれだけ要るのか尋ねたら、
ウサギの身代わりには、お前丸ごとぜんぶだと鷲は言った。
というような話だった。

ダイキがこの話はおかしいと言ったわけは、
動物は、おなかがすいたときしか獲物をとらない。
おなか一杯になったら、何も襲わない。
だから、人間丸ごとほしいなんか、ぜったい言わない。ということだった。
そうそう、思い出した。

それで、改めて私は言った。
「お坊さんは、量ではなく質、命そのもののことを言ったんやで」
するとダイキは、
「分かってるよ。あのときも分かってたよ」
と言うから、へー、そうやったん?と思った。
つづけてダイキが
「人間の命が一番大事やと思ってるのは、人間だけやねんから。
話の意図はわかってても、
どんないい話を聞かせてやろうと思われても、
大事なひと亡くして悲しんでるものには、通じへんということやん」

この言葉には、本当にびっくりした。
きょうだいも遺族なんだと、改めて思い至った。
小さくても、小学生であっても。
長い間、親だけでつらい思いにふけっていたことを、申し訳なく思う。

ダイキの話は、すぐまた担任の西村先生の話に戻っていった。