病児と家族に寄り添う人々
2007/05/14 京大病院小児科病棟のボランティアグループ「にこにこトマト」さんで
講演させていただきました。登録者は総勢70名!大所帯です。
依頼を受けていた「寄り添うとは」をテーマにお話しをしたのですが、
聴いてくださるボランティアの皆さんの気持があたたかくて、やわらかで、
とても和やかなひと時を過ごさせていただきました。
あとで代表の神田さんから聞いたことですが、
病棟の子どもたちと遊ぶということは、
もしかしたらその1回が最後になるかもしれないから、
「またこんど」と思って手の抜くことを皆さんしないのだそうです。
一回、一回を、大事に考える活動を実践している人々は、きっと生き方においても
「一日一日を」という言葉が言葉だけになっていない人々だろうと思います。
あとで原稿の依頼がありましたので、途中から抜粋します。
で、いざ伺うにはちょっと不安がありました。当方は治って元気になったわけではないですし、なにせ遺族会ですから、何をどこまでお話しして良いやら見当がつかなかったのです。考えあぐねたしだいですが、実際話し始めると、取り越し苦労だったように思いました。「前向きな話が聞きたかった」とがっかりされないか不安だったわけですが、私の話を前向きなものと理解していただけたことが何よりうれしかったです。死別に限らず、持って行き場のない感情や、受け入れ難い思いを表現することはとても大事なことで、立ち止まることや後悔すること、嘆くことや自分を責めることも含め、感情を動かしながら考えを回すことすべてが、立って歩くために必要な手続きだと思うのです。もちろん表現できる場があってこそです。
「かなしい」という言葉は、ずっと昔は「愛しい」とも書き、「かわいくてたまらない」という意味があった。現代の日本語は、かなしい=かわいいではないが、日本語のもつ言葉の意味は、何百年、何千年のときを超えて我々日本人の心に脈々と受け継がれているのではないだろうか、というお話しをしました。このことを沖縄で話したとき、現地の方から教えていただいたことがあります。沖縄には「かなさん」という言葉があり、現在も「かわいい」という意味をもつそうです。
小児科病棟では、深刻な告知やきびしい闘病のなかで「かなしい」気持を押し殺すようにしてがんばる家族の姿があると思います。かなしい言葉は愛の表現なんだからぜんぜん抑えなくっていいんだよ、ということが家族に寄り添う方々を通して伝わるといいなーと願っています。
次号から連載をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。