こどもの日はあの子の日
2006/05/06 長女が亡くなって以降、こどもの日は一日中この子を思うための日になりました。
(長男は5月3日が誕生日なので妹に譲ってもらうことにして)。
1年しか一緒に過ごせなかった娘ですから、
わずかな思い出を減らしてしまわないように、
私は努めて娘と過ごした日々のことを人に聞いていただくようにしてきましたが、
どんなに思い起こしても薄らいでしまったのが、声です。
あゆみはまだ言葉を話せなかったので、
あの子の声というものが定かではないのです。
赤ちゃんは泣くとき以外はほとんど声を出さないもので、
あゆみくらいになると「あい」とか「んま」くらいは発していましたが、
光景としては記憶していても声質が分からなくなっています。
ほかのご遺族もやはり声が薄れた寂しさを嘆かれます。
少し大きな子のお母さんでも、声はすり抜けてしまうようだとおっしゃいます。
とっても大きな子だとどうなのだろうと思い、
先日、何年も前に高校生の息子さんを亡くされたお母さんにお聞きしたところ、
「おかあさん」と自分を呼ぶ声がはっきりと耳の奥にあるとおっしゃいました。
この響きに支えられて生きているのだと。
その年齢に育つまで、数え切れず呼んでくれた言葉を乗せた声なんだと思いました。
言葉が話せるということはすごいことだと思います。
こういう声で、こんなこと話してくれたなー
あんな会話もしたなー と振り返れる年齢まで育ててあげたかったと、
今年もこどもの日にゆっくり考えました。
気づいたら、してあげたかったこと、してあげられなかったことを、数え上げていました。
「おかあさん」と呼べる年齢までいてほしかったと、また思いました。