思い出の押しつけ
2007/06/17 そうそう あるある と連絡もらったりし
ちょっと元気になってきたので、
「思い出」についてもうちょっと書いてみようと思います。
あゆみと過ごした時間はわずかだったため、思い出は限られ、
身内のそれぞれが拾い集めるようにして持ち寄り、つなぎ合わせ、共有している
ということを昨日書いたのですが、
大切な子どもの思い出が「ない」場合、たいへんだろうと思います。
よく、思い出がたくさんあるからつらいだろうと思われがちなのですが。
生まれるまでに亡くなった赤ちゃんのご家族ばかりの「つどい」で
進行役を担当させていただきました。
流産された日、小さいお兄ちゃんとお姉ちゃんは病室を訪ねるなり
「ママ、あかちゃん、どこいっちゃったの?」と聞き
お母さんは答えられなかったそうです。
赤ちゃんは、生まれてくるずっと前から家族になっているのだと思います。
その子の「思い出が何もない」と悲しむお母さんに、
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが、赤ちゃんどこへ行ったの?と
言ってくれたことも赤ちゃんとの思い出の1つですよね」と私が言うと
お母さん急に泣かれました。
はっと思い、すぐやめました。
もしかしたらお母さんの感覚と合っていたのかもしれないけれど、
いけないことをしました。
分からないことに想いをめぐらせたり、解釈したり、意味を見つけたり、
そういう大切な取り組みは、はたの人間が安易に進めてよいことではなく
ましてご本人を差し置いて勝手に言葉にしてしまうなどというのは
とても傲慢で失敬なことだと思いました。
勝手に踏み入れてしまい、ごめんなさい。私も、
さかしたさんががんばってること、あゆみちゃん見てますよ。喜んでますよ。と
いろんな方からしょっちゅう言われ、
何でみんなそういうふうに言うんだろー と、とってもフシギなのに、
“いいこと言った”と満足されてしまうと、
なんてお礼を言えばいいのかコマッテしまう。
そういう状況、すごくよく知ってるのに。
ごめんなさい。