あゆみと暮らした家

2013/06/02

眠ったままの病状が、もう何年も続いている女の子の病室を
時折訪ねている。

お母さんは、遠い自宅から毎日通い
引っ越しはしないと聞いていた。
家には、その子が元気な頃の思い出が
いっぱい詰まっているので、離れられないと。
気持ち、よくわかる。

きょう、引っ越すと聞き、
それまで黙って話を聴いていたのに
思わず、私は興奮気味に話していた。

「私、あゆみが暮らした家を、売って、引っ越してから
1回だけ、家の前まで行ったことがあるんです。
外から見るだけでも、と思って行ったのに、
たまたま隣の家の人が出て来て
喜んでくれて、お茶でも、と家に上げてくれたら、
2軒造りが同じだったから、懐かしくて、込み上げてきて
思い切って頼んでみたの。
もし、お隣に越して来られた方と仲良くされていたら
中を、玄関からだけでもいいので、見せて貰えないかな・・
相手の表情は曇り
坂下さんとはあんなに仲良くしてたのに、次の人とは・・
ごめんなさいね と断られたの。
まさか家の中を、なんて思ってもみなかったことなのにね。
引っ越す前に、壁のらくがきとか、床の傷とか
よーく目に焼き付けて、手でなでて、覚えておくといいよ」

「私は、引っ越したらもう振り向かない」
と言われたけれど、
お母さんは泣いていた。
私も。

あのときの私は、
当時暮らした場所に行けば、
暮らしがまだそこにあるような気がしていたのだろうか。
そんなこと、あるわけがないのに、
頭ではわかっているのに
こころが、そこに向かわせていた。

おかしなことを頼んでしまったが、
言わずに思い続けるよりも、
言って、無理なこととわかって、良かったと思う。
そうしてこのことは、終われたから。