2010年に埋没していた

2015/09/22

かぜひいて、クリニック行って薬もらっても
なかなか治らなくて、参っていたが
徹夜したら、なんだか治ってきたみたい。
徹夜なんかしたら、もっとえらいことになる、と思ったが
明日は、朝早い新幹線。
どうしても、時間が足りなくなってしまった。

2010年に発行された共著が
改定されるということで、原稿を出さなければならなくなったが
まだあんまり元気の出てきていないこの頃なので
後回しにしていたら、期限を越してしまった!
えらいこっちゃ。

某公立病院の、NICUで赤ちゃんを亡くした方々への
インタビューを基にした内容だったが
5年も経ったので、新しい聞き取りをした方が良いのだけれど
元気も足りていないことだし
以前の記録をもとに、書き直していった。

徹夜になるなあ、と思い始め、集中して書き進んでいたとき、
その頃は、まだ出会っていなかった、同じ病院のNICUで
赤ちゃんを亡くされた方からのメールが届いた。

意識は2010年にあった。
見ているメールは、きょう現在のもの。

扱っている記録の中に、この人は存在しない。
そのときは赤ちゃんを亡くしていないから。
だから当たり前のことなのに、
なぜか不思議な感じがした。

あのあと、何か少しの事が、違う動き方をしていたら
この人は、赤ちゃんを亡くすはこびになっていなかったのかしら
みたいな、おかしなことまで脳裏をかすめる。

そんなこと、あるはずないし、
だからと言って、すでに決まっていたこと、というわけでもなく
自分の子が亡くなった事実も含め
「やっぱり、わからない」という結論にしか至らないことなのだと思う。