生きていてくれた

2016/04/29

がんで入院していたとき
抗がん剤をしている人は、みんな、バンダナや帽子で
毛のない頭を覆っていた。

そんな病棟で、一人だけ、平気でハゲ頭のまま過ごす人がいた。
いさぎよいじゃない。
すぐ仲良くなった。

私よりも若く、私よりずっと病状の良くない女性だった。
なのに、あっけらかんとして、とにかく明るかった。
おかげで私もよく笑うようになった。
その人は、がん以外にも、深刻な病気を抱え持っていた。
長くないだろうと、思いたくないが、思えた。

その人を残して先に退院するのが、気がかりだった。
その後も会いに行ったが、不在で、会えないままだった。
住所は交換していたが、電話番号は知らなかった。

毎年年賀状が届いた。夫婦連名で。
何年か経つと、なぜ届くのか、不思議に思うようになった。
生きているとは、到底思えなかったのだ。

そうか。
ご主人が、病友を気落ちさせないため、送り続けてるのだろう
と考えるようになった。

そうして10年経ったとき、
転居の知らせが、また夫婦連名で届いた。
ああ、ご主人は2人で引っ越して一緒にいるつもりなのだ
と受け取った。

新住所を見てびっくりした。
姑の住むマンションではないか。
ダンナに聞くと、「夫婦で住んではるで」と言う。
信じがたいことだった。

それからも私はなかなか会えず
きょう、マンションの掃除をしながら「会えたらいいな」と思っていたら、
ついに、向こうからやって来たのは、彼女だった。

「やっと会えたー!」と言ってしまった。

奇跡だと思った。
がんは何度も再発を繰り返し、今現在も、在り、
ところが転移をせずに同じところに在って、
大きくなっては、抗がん剤をしたり、放射線をしたりするらしい。
そんな子宮がんの経過、聞いたことがない。

生きる運命があるうちは、何があっても人は死なない
というのは、こういう人のことだと思う。

相変わらず、底抜けに明るかった。
だから生きていけるのかもしれない。