お家に行きたい

2018/02/27

まだ日の浅いご両親にお会いしたのは
大きな駅の構内だった。

私の時間的な都合で、
この巨大な駅を待ち合わせ場所にさせていただいたが
静かな場所などなく、お店に入るしかない。

お店は、ちょうど昼どき。
「何食べましょう」と言いながら
ほんとは、ちがう気がしていた。

当時の私は、昼にもご飯を食べていただろうか…
人から「ちゃんと食べてる?」と尋ねられるのが、
ちょっと鬱陶しかった記憶があるので
食べていなかったのだろう。

お子さんを亡くした方にお会いするとき
できれば、その子の家に行くのがいい。

その子のいた場所が感じられることと
人の目がなく
お母さん・お父さんが
思うことを、思いのまま話してくれたり
あるいは、何も話さず、ただただ泣いていたり
ありのままでいてもらえるから。

お店の、2時間制というのもなく
大抵、お互い、日が暮れたのに気づかないほど
亡くなったお子さんの話に没頭する。

語る側も、聴く側も
どんなに語っても
どんなに聴いても
尽きないのが、亡くなった可愛いお子さんの話。

生きている
と感じることさえある。
錯覚なのではなく
ありありと、存在し続けている感触だと思う。