一番いやな記憶の扉

2018/05/25

電車に乗って、座っていたら
前に立った男性が、私の頭上の棚に
乗せるつもりの鞄を、落としてしまい、
私の顔をひっかく感じになった。

私、すごく嫌な気分になった。

その人が、あまり丁寧に謝らなかった
からではなく
もっと嫌なことと繋がってしまったから。
頭の中で。

あゆみが亡くなったあと
救急で誤診した医師に会いに行ったとき
その医師には会わせてもらえず
院長が現れた。

そして、院長は、話し続けた。
自分の一人息子が亡くなったときのことを。

電車で、網棚の荷物を降ろそうとする人が
手をすべらせ、息子の頭に落ち
そして亡くなった、ということを。

その話は、衝撃的だった。
私は言葉を失った。

でも私は、私の子どものことで
言いたいこと、聞きたいことが、しっかりとあって
出向いていたのだった。

あの話は、何のために話された話だったのだろう。
私を黙らせるに好都合な材料
とされたのだったとしたら、
そう思うと、院長以外、誰のためにもなっていない。

私のためにも
誤診した医師のためにも
亡くなった息子さんのためにも
あゆみのためにも
今後の医療のためにも

嫌な記憶、辛い記憶というのは
消えようもなく、
何かを引き金に、一気に頭の中に広がってしまう。

また押し込んで、日常に戻るしかない。