家ごと揺さぶられて考えた
2018/06/18 今朝も寝坊してグーグー寝ていたら
大揺れで、目が覚めた。
阪神淡路のときの揺れが蘇った。
でも、あの時とは違い、ゆっくり動いた。
トイレだけは行っておこうかな、と。
もっと凄い揺れが来たら
うわ、行っときゃ良かった、と後悔するから。
そして、トイレで考えた。
私は、生きたい思いは強いのか?
子どもを亡くした親は、よく言う。
死ねたら、会える
でも、死ねない
家族をさらに悲しませるから
と真剣な面持ちで。
私は、このことを言ったことがなく
何故なんだろう、と思う。
そもそも、本当に身の危険を感じたら
ものすごく生きたくなって、必死で逃げるだろうか?
大声で助けを求めるのだろうか?
案外、「こういう方法だったのね」と
あっさり受け入れて、おとなしくしているのかもしれない。
トイレが済んでも、まだじーっと考えていたら
ケイタイが鳴った。
叔父からだった。
「だいじょうぶだから」と教えてくれた。
大丈夫じゃなさそう。
プールの壁が崩れた小学校の、すぐそばに住んでいる。
80才を越えようとしている叔父のほうが
生きる意欲が高いのを感じ
ちょっと凹んだ。
こちらから尋ねないといけないのに
うっかりしていた反省もあってか。