普通の暮らしを続けるすごさ

2020/03/16

子どもが亡くなると、

子どもだけでなく、ありとあらゆるものを失う気がする。

失う必要のないものまで、自ら手放してしまったりもし。

 

そうして、赤ん坊や幼い子の育児、という

否応なしに与えられる役割が降り注いでこなければ、

考えすぎてしまうことも、起きやすい。

例えば、人の役に立たなければならない、とか。

 

私も、そうだった。

まるで代替案のように、

あゆみの役に立てなくなったぶん

何とか、何かの、役に立たなければならない、みたいな。

 

「小さないのち」を始めたことは、これは正解だった。

でも、当時していた仕事が音楽の仕事だったので、

音楽療法というのを、学んで、奉仕しよう!なんて考えは

結果的に頓挫したのだけれど、やめておいてよかった。

向いていなかったし、ものすごくしんどかった。

 

そして、思った。

あゆみが亡くなって、一番欲しかったのは、

当たり前だと思って過ごした日常だった。

つまり、普通に過ごす毎日。

 

これが、一番難しいのだと思う。

一番欲しいと思いながら、

向いていないことまで考えたり、したり。

 

子どもを産んで育てることは、すごいと思うが、

同じ場所で、日常を、同じように営んでいける人

ものすごい、と思う。