生きた長さではないと聞くが
2020/09/16遺族の「わかりにくい言葉」は、
配偶者を亡くした人にもある。
若くしてご主人を亡くされた奥さんが、
可哀そうとか、不幸なこととして言われるのが、
嫌だったと言うのを聞き、思った。
年を取るまで共に過ごした死別とは違い
「不幸」と考えられるのが、自然ではないだろうか。
でも、遺族に向けられる
かわいそう 不幸
といった言葉は、
亡くなった人のことを言っていることになる
と、私はあまり考えてこなかった。
「夫は、幸せな人生を生きたと思う」
と奥さんは言っていて、それが本当のところだろう。
だから、人の幸不幸は年齢では測れない
ということになるが、
子どもを亡くした親たちは、どうなんだろう。
生きた長さではない、といっても
あまりに短いと、
見たもの、味わったこと、経験できたことが少なすぎて
それでも本人は幸せだったのだと
言い切れるだろうか・・・
笑っていた顔、喜んでいた表情、楽しんでいた姿を
できるだけ手繰り寄せて、よく考えても
あゆみは幸せな一生だったと、言える自信
私にはないかも・・・