わが子が最期にどう考えていたか

2020/10/13

9日に書いた
「そんなに自分を責めなくても、〇〇ちゃんは、きっと
お母さんにありがとうって言ってるよ」
という言葉をかければ、言葉としては美しい。が
そんな美しい言葉一つで、親が楽になる??

について、あるお母さんとやりとりしていた。
人から言われるまでもなく、事の真相は
いつわかるのか?だ。

亡くなったわが子が、最期に考えていたことを
知っている親は、ごくわずか。
大多数の親が、真実を知ることができないまま
考え続ける。自分を責めつつ。

で、行きつくところは、どこなのか?
そして行き着くのは、いつなのか?

これ、個人差があるとは思うが、
私は、「行き着きそうにない」と見えてきた。
こう感じていたのかな?
こう考えていたかもしれない、など
いろいろ、いろいろ、めぐりめぐって
未だわからない。
おそらく、ずっと、もうわからない気がしている。

そして、
わからないままでも、いい気もしてきている。

そう思えるようになって、
自責感が、和らいできたような気もする。

「そんなに自分を責めなくても」は、
単に「時間」が経って収まったとか諦めた、
というものでなく、
子どもの本心(真実)を知ろうとすることと
それは永遠に分からない、と思うようになることが
連動していたように思う。

そのように考えるに至ったのには
「時間」は必要だった
とも言える。