子の真意は「わからない」ことに
2020/10/14子どもが最期に考えていたこと、に加え
あの世に行ってから考えていることなども
依然わからないままだが、
親のこと、責めるどころか、大事に思ってくれている
という確信めいたものが、実はありながら
私の場合、どうしても、
かたくなに拒絶してしまう面があって・・・
とりわけ自分の命が助かったとき。
あゆみが亡くなったすぐ後に
私は車で、大事故を起こしかけた。
とても大きな交差点で、ぼーっと右折してしまった。
ぶつからなかったのは奇跡に思え
誰に護られたのか、直感し、
痛烈につらくなった。
「申し訳ない」の最上級。
こんな、ぼーっとした意識で車に乗るの
当分やめ
「助けなくていいから」と思い続けた。
それから数年後、
早期発見ではないがんが、わかったのも
偶然すぎることからだった。
また護られてしまった・・・
これほど分かりやすく知らされているのに
「今もわからない」「この先もわからない気がする」
と言う私。
そう言いたい私って、なに?