「一生のお願い」が叶わなかったから

2020/10/15

子を亡くした親に自責が強いというのは

わが子を護りきれなかった

という直接的なことだけでなく、

わが子の死後、自分の命は護られている事実を

感じ続けなければならないから、もある気がする。

 

昨日書いた、大事故を免れたときなど

ただの偶然と思えたら、そうでもないのかもしれないが

偶然に収めきれない、

素通りできない過敏さが増す気もする。

 

もし親を護ったのが、わが子ではないとしても

命拾いしたときなどは

それ今じゃない!と込み上げる。

 

いつなのか、は言うまでもなく

「一生のお願いです」と

一生分の願いをささげた、あのときだ。

 

あのとき聞き届けてもらえず

なぜ今、私に・・・

 

拒絶と言えば、恩知らずに聞えてしまうが

とにかく

あのときが全てだった。