一生ぶん話し終えた人かもしれない

2021/02/19

昨日、ダンナが無口で会話がない、

と書いたが

ほんと、驚くほど喋っていた時期がある。

あゆみと。

あゆみは喋れないので、一人語り。

 

あーちゃん、あーちゃん、あーちゃん

と構いつづけられたら、エイ!うるさいわ!

と言いたくなるだろに、

そこが赤ちゃんの根気良さ。

2才3才になったら愛想つかされてるだろ。

 

今日もかわいーでしゅねー

毎日かわいいでしゅよー

と延々やってる。

 

あーちゃん あーちゃん と呼び続け

何かの拍子に、あゆみが

「あー」と発したものなら

わ、名前言えた!天才かも!と騒ぎ。

 

そして、あゆみがいなくなった日、

元に戻った。

喋らなく(喋れなく?)なった・・・

 

私おもった。

人には、一生で喋られる分量が、決められているのかもしれない。

ダンナは、そのほとんどを、あゆみと話すために、

それまで、とっておいて、使い切った。

 

そうとしか思えないのだ。

あゆみの、本当に限られた生きている長さに

合わせるように、話し出して、話しきった

人。