どっちが前か後ろか分からなかった
2021/03/12東日本大震災から10年が過ぎた。
あの日あの時間、
私は兵庫県立塚口病院にいた。
(その病院は統合され、もう跡かたもない)
え、めまい?
わたし体調悪い??
と、自分に妙な疑問と違和感を覚えた。
そしたら看護師さんも、同じこと言ってて
暫くして「地震らしい」と言われたが、
地震?どこで?
関西の人間には、異国のことかと思うほど
遠くの出来事だった。
テレビを見るまでは。
異国ではない。自国の出来事。
石巻の小学校、大変なことになっていた。
そのとき亡くなった6年生の女の子の、お父さん
震災の語り部になっておられる。
インタビューで、10年でどれだけ進んだか?尋ねられ、
お父さんの言葉に、深くうなづいた。
どれだけ進んだかは、
どっちが前かもわからない。
私もそうだった。
時間は間違いなく過ぎてのに
時間と共に後退していくようだった。
さらにつらい。
さらに、くやしい。
10年はこう思い続けたので、
10年目のご遺族にそう言われると
まさに、と思った。
お父さん、何とかお嬢さんを助ける術を
模索し続ける語り部かもしれない。
私は、そうだった。
亡くなっても、なお、助けたかった。