お姉ちゃんが確かに「いた」証拠

2021/04/26

小学校低学年で、お姉ちゃんを亡くした女の子が

話してくれたことがある。

この話が、車の運転ができないダイキの親(=私)を

改めて救ってくれている。

 

お話しは以下のもの

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お姉ちゃんって

私が生まれたとき既にいて、いつもいて、

お姉ちゃんがいる中で私は育ったので

「お姉ちゃんがいる私」が完成形だと感じている。

そんなお姉ちゃんが、いなくなるというのは

完成形の私から、人型のクッキー型で、型を抜くようなこと。

私には、人型があいている感じがする。

ここは、ずっと埋まらない。

お姉ちゃん以外、型が合わないから。

でも、あいたままでいいと思うようになった。

お姉ちゃんが、確かに「いた」ということだから。

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きょうだいは、心が深い。

悲しさも、生きづらさも含め、

排除せず、受け容れ。

 

お姉ちゃんの型が抜けていても

ほかの面で「型」を補い、生きていく力を養うならば

車に乗れないダイキも

ほかの才能を生かして、弱点を補いつつ

生きていってくれたら。