相談できても淋しいことに変わりない

2021/06/16

昨日書いたことは

私も旦那さんを知ってて言ったことでもある。

でも、たぶん、生前の人となりを知らなくても

同じではないかと思う。道理としては。

 

多くの遺された人が、そう言っているから。

亡くなった人は、相談に応じてくれるし

アドバイスもくれると。

 

ところが、あゆみのように、小さいと

私は、はじめのうちは、無理だった。

今は相談できるし、返事をくれていると思う。

 

当時と、今では、何が違うのか?

考えてみた。

 

まず、小さいから無理、と私が思っていた。

だから相談しなかった、というよりも

相談するのがいやだった。辛かった。

護ってもらう、みたいなのが。

生きていれば、子は、全面的に護られる側。

その立場を逆転させたら

いかにも、故人という感じになるから。

 

けれども歳月を経て、

私の「考えの一部」が変化していった。

あゆみは、私が経験していない、先の上を行っている

と思うようになった。

生を全うし、高ーいところへ、一人で昇って行ったのだから。

 

それで、悩むときや、決めかねるとき

「あゆみちゃーん」と相談できるようになった。

あゆみからの返事というのは

ひらめきのようなものなので、すぐではないが

必ずもらえていると思う。

 

だからといって

私は平気ではない。

 

「考えの一部」と書いたように

ほとんどの部分は、

今もつらい。毎日さみしい。

 

わが子は、

愛しくて崇高な存在。