「同じ死ぬなら全部もって行きたい」

2021/08/18

純子さんとの出会いは、私が取材を受けた新聞を見て

連絡をくれたことだった。

会いましょうか、ということになり、

自宅を訪ねてくださる。

 

末期がんとは思えない若さと、魅力を感じた。

その魅力の根本は、純子さんの人柄だ。

亡くなったあゆみのことや、病気の子どもたちの話をすると

彼女は、目を潤ませ、こんな仕草を見せた。

 

自分の背中を指さして

「ぜんぶ、乗せて、って思います」

と言った。

 

いうならば、荷台がガラガラのトラック

まだ自分の病気しか乗っていない

行くなら、乗せるだけ乗せて、走りたい

乗せたいのは、病気の子どもたちの、病気

 

いま他人の子のこと、考えられるんだ・・・

私がフシギな感覚で聴いていたら

「同じ死ぬなら」

と言ったこの言葉が、投げやりではなく、覚悟に聞こえた。

 

病気の子どもから、病気だけとって、

ポイポイ彼女の荷台に、積むと

力強く走って行く姿、イメージできるようだった。

 

闘病しながらも余力が満ち溢れていて

「若くして」という言葉を、象徴していた。

だから惜しい。

 

遺して逝くわが子の幸福や、幸運や、将来を

願うからこそ抱く

どの子も、という思い。

 

あなたは素晴らしい。

残された時間に、とても良いことをする・しない

にかかわらず、

あなたのお子さんたちは、幸福に恵まれてほしい

と強く思った。