子どもの死は親の生き方を変える
2021/09/30前にも書いたように、うちのダンナは
あゆみが生まれて、生きていた間に
一生分の言葉を喋り尽くしたらしく
あゆみが亡くなると同時に、もの言わぬ人になった。
まるでハシビロコウが動かない鳥のように。
そんなダンナに、きょう感心した。
ダンナの実家(←もう住んでいない)の庭に
いくつも大型ごみを投棄されてしまった。
役所に電話したら、
「敷地内のごみは、自費で処分してください」
と言われたらしい。
「そんなん、おかしいやん!
なんで他人のごみを、お金払って処分するの??
道に放り出したらいいねん。」
と私はダンナに言った。
ダンナは、「そんな迷惑なことは」
「迷惑は、うちやん!
なんで不法投棄の責任を個人がとるわけ?
道に出したらいいねん!」
と同じことばかり言ってる私。
あのごみは、一体、どうなったんかな?
と思って、今日尋ねたら
案の定
有料ゴミで回収してもらっていた・・・
ブラウン管テレビは、特に高い。
私、あゆみが亡くなってから
ごまかしたり、謝らなかったり、しないようにしている。
子どもを亡くした親がよく言うように
自分の罪が子どもに行ってしまったんじゃないか?
と思ったから。
ダンナと、そういう話は、したことないけれど
どう見ても、人の良さを増していっている。
道に放り出せーーー
と怒り狂っただけの私は、
まだまだ善人には程遠い。