会える方法があるならきっと言わない

2021/11/29

自ら命を絶つことを、正式な言い方では自殺というが

もう10年以上前から、自死と言われるようになった。

遺族当事者の方たちの心情や、意向を汲んで。

 

この自死に対し、私が批判的ではないことを

よく日記にも書いているが

理由は2つある。

 

1つ目は、先日から書いているように

その立場となられたご遺族が、

社会的にも、どれほど苦しい思いをされているか

よく知るからだ。

(遺族会どうしは、ゆるやかに繋がりがある)

 

そして、亡くなったご本人も

例えばお子さんだとすると、

当会の子どもたちが、どの子も「いい子」であるように、

その子たちも、いい子が本当に多い。

いい子に育つと、短命になってしまう

という伝説でもあるのだとしたら

悪い子でも良かったんだよ、と言いたくなる。

 

批判しない理由の2つ目は

病気で子どもを亡くした親たちも、

「死にたい」を何度も、何度も、言うからだ。

 

なぜ死にたいか?

死んだ子に会いにいくため。

一緒にいるため。

 

親と子は、一緒にいるのが当たり前。

引き離す道理は

どこにもないはずだ。

本当に、ひどい話なのだ。

 

それでも、きっと、いま死んでも会えない

と、どこかでわかっているから

どうにか死なずに、きょうも生きている人たちに

そういうこと考えたり、言ったり、してはいけない、

なんてこと、誰が言えるだろう。