御百度参りは昔の風習と勘違いしていた

2022/08/28

高野山の奥の院で、もう1つ考えたことがあった。

お大師さまへのポストの次に目にしたのが

御百度石。

 

御百度石について、私はほとんど知らなかったが

ちょうど前日に、

お子さんを亡くされた方のお話しにあったので

「あ、これなんだ」と思って見た。

 

境内に小ぶりな石柱が立っていて

この石と本殿との間を、祈りながら100往復する

という願掛けの方法。

奥の院では、裏の角にあったので

ここからどっちへ向かって往復するのか

よくわからなかった。

 

ずっと待っていたら

する人が、いたかもしれないが

待ってても、いないような気もし

私には、伝説のようなイメージさえあるのだけれど

まったくそうではなく、現存する営みなのだ。

 

お子さんが難病や重病で入院していると

小児病棟では、御百度参りに行く親御さんが

そう珍しくはないとのこと。

 

藁をもすがる思い、という表現があるが

親にできることがあるなら、親はしたいだろう。

その1つが、御百度参り。

 

その方がおっしゃるには

行った方たちのお子さんは、その後

亡くなられている。

 

ああ・・・と息がもれる。

でも、御百度参りした人の子は、助かり

しなかった人の子は、助からない

ということになれば、それは大変。

 

ただ、できる限りのことをした

と親が思えることは大事で

そう思えることに意味がある。

親の長い人生のためにも。

 

何をするか?はそれぞれであって

子どものためにできる限りのことを

時間が与えられた人たちは

みんな、きっとしたのだろう。

 

どこにも行かなかったが

子どもの傍に、ずっといた

という人も含めて。