自分を不幸にしてしまう「比較」と「後悔」

2023/01/03

途中からつけて、最後まで見られなかったのだけど

NHKの「最後の講義」という番組で、

みうらじゅん氏の講演を聞き、メモした箇所がある。

 

比較しながら生きるから不幸になる

という指摘。

「比較」という言葉だけで、確かに!と思った。

 

みうら氏が挙げる比較の対象は、3者。

そのうち、私がいつも比較してしまうのは

【他人】。

手っ取り早く言えば、子だくさんの人。

子どもたちに囲まれて暮らしている人。

 

たぶん私は、他人だけが比較の対象に思える。

みうら氏は、【親】も挙げているが、

あまりピンとこなかった。

 

もう一人の比較対象は、【過去の自分】だという。

これは意外だった。

自分なのかあ、過去の。

 

若かった自分?

もっと張り艶があった自分?

もっと頭の冴えていた自分?

もっと体力があった自分?

 

いやー、過去の自分も、大したことないな。

だから比較したところで・・・

 

考えてみて思った。

私は、過去の自分にも自信はないし、

イケてたとも思わないし、

しがみついていたい栄光もないのだけれど

実は、「過去」には、相当こだわっている。

 

考えようによっては、

手放せない過去が、明確にある。

 

私にとっての過去は、

比較というより、後悔に尽きる。

歳月を経て、普通の顔をして暮らしているが

一皮めくれば

巨大な後悔で

いまだ埋め尽くされている・・・

 

ただ、どうすることもできない後悔で

自分で自分を不幸にしてしまわないために

ぶ厚い皮をかぶせていることを、

また思い出した。