顔が見えない人と会って話したいと思う時

2023/01/13

2019年に、池袋の交差点を暴走した車によって

奥さんと3才の娘さんの命が奪われる事件があった。

残されたご主人が、涙ながらに、

事故の解明や再発防止を願い、会見を開いていたが

このご遺族に対し、

SNSで誹謗中傷していた男の判決が

きょう発表された。

 

投稿していた内容は、書くのもはばかれる。

 

犯人が特定され、逮捕された時、

警察の熱意を感じたし、

これで心無い書き込みは減るかな?

SNSを安心して使えるようになるかな?

と思ったものの、

やっぱり私は、ツイッターとかインスタには

手が出せない。

 

この日記は、独自に開設したもので、

直接コメントが届くことははないが、

メールアドレスを公表しているので、

すごい内容で届くことがある。

偽善者だ、とか、

もっとひどい言葉も、

池袋のご遺族と共通する言葉も。

 

公表されないものは、それはそれで、

警察に助けてもらえないから

一人で耐えるしかない。

心が折れないように気をしっかりもつ

というのは、あまり現実的ではない。

そんなに心って、強くないし。

 

えらそうに書かないように、

いい格好しないように、

目立たないように

それくらいしか心がけられることが、ない。

 

でも実際、

私のような活動は、

何も動かしてないし、変えてはいんだよね。

最愛の子どもが亡くなって、つらい親の気持ち

動くものではないし

変える必要もないし。

 

ここに来たら楽になれますよー

とか言ったり、書いたりしたら

嘘つき、って叱られていいのだけど。

 

でも、毎日読んでますよーって

励ましてくれる人がいるから、毎日書く。

 

顔を見せないで、文章で、人を傷つける人と

会って、対面で話したいといつも思う。

それでも同じこと、言うのかなあ。

目を見て、言うのだろうか。