あんな思いさせたの何のためだったんだろう

2023/01/17

あゆみは、涙の管が人より細いと知った

の続き。

 

私は落ち込んだ。

人並みに産んであげられなくて、

といった自責だ。

 

思えば、

生きていくことには、なんら支障のない

小さな障害だったが、

障害は、重い軽いではない、と

よく聞くことの意味がわかる。

 

またも涙が出る穴に針金を通すこととなり、

私にとって、あの悪夢のような時が

再び巡ってきた。

 

あゆみは、というと、

1ヶ月以上経っていただろうか、

眼科じたい忘れていた。

若い看護師さんたちにあやしてもらって

嬉しくて愛想を振りまいている。

このあと起きることに気づいていないことも

切なくてたまらなかった。

 

診察室は、

前回とまったく同じ状況を迎え、

私は待ち合いで、目をつむって耐えた。

 

治療が終わると、

へろへろになったあゆみは、

無事、私の腕のなかに戻り、

今度はみごと成功。貫通を果たした。

 

その後、もう塞がってしまうことはなく、

あんな繊細な処置をしてくださった先生に

とても感謝した。

また、いくら痛くて怖くて、大泣きしても

とても小さいうちにして貰って良かった

とも思った。

 

これでもう、一生、安心。

そんなことも思っていた。

 

でもあゆみの一生は、

ものすごく短いものだった。

 

その一生のなかで、

涙がまた詰まることは、確かになかったが、

あんなに辛い思いをさせたこと、

何のためだったんだろう・・・

と思ってしまうことは、あった。

 

そんなことを言い出したら、

毎日三食、栄養を考えて食べさせていたのは

何のためだったんだろう

と思うことと、同じになるのかな?と、

頭をぶんぶん振って打ち消す

みたいなことを、したのだった。