どこも痛くなくても幸せと思ってなかった~
2023/02/03きょうは、月1回の習い事の日だった。
先生のおたくは、ご家族が、ご病気やお怪我で、
大変ななか、遅れて来られた。
昼ごはんは、先に注文してあったので、
持ち帰り用の、巻き寿司「恵方巻」も届いた。
入っていたチラシには、
今年は南南東を向いて食べること、と、
1年間幸せに恵まれる、と書いてある。
節分に行う、この慣習は、関西発祥らしい。
ずっとしてきたか?と話題になり、
私は、実家では、この縁起担ぎを軽視していた~
昨日も書いたように、
信仰も、神頼みも、縁起担ぎも、なーんもしない家。
先生は、ずっと続けてきたらしい。
でも、こうつぶやいた。
「子どものときから、毎年やってきたけど、
わたし幸せじゃないわ」
近況を知る者たち、言葉をなくす・・・
一人が口火を切った。
「毎年食べられてるんだから、幸せ、ということで」
ここで「うん、そやね!」
と言える人だから
幸せは、近い、と思った。
幸せって、何をもって、そう思えるか
なのだけど、
私は、以前は、どこも痛くない体でいて
幸せだと、別に思っていなかった。
今は、痛くない時がない腰が
痛くなくなったら幸せなのに、
と思っていて、
「どっこも痛くない」と言っている人に対し
幸せな人だ、と思うのだけど、
もし、私の腰が、すっかり良くなって
痛みが消えたとき、
幸せだー!と、私は心から思えるのだろうか・・・
自信がない。
なんか、また、ほかに、
不平不満を持ち上げそうで。